アメリカの黒人差別から人間というものを知る

今日はすこし重い話題をあえてぶっこみたいと思います。

海外に短期の旅行ではなく、実際に半年以上も住んでいると、旅行だけでは気づけない、その土地の文化や歴史、慣習などが否が応でも見えてきます。それはポジティブなものもあれば、当然ネガティブなものもあります。

私は、アメリカに計5年ほど住んでいたため、そのような場面に出くわすことも多々ありました。ここであえてアメリカのネガティブな側面を1つあげるとすると、それはやはり差別の問題です。

先日、ダウンタウンの浜田雅功さんがガキの使いの年末シリーズで、エディ・マーフィーのモノマネをされ、それが黒人を揶揄している、差別していると海外を中心に批判され話題になりましたよね。私たち日本人からすると、「えっなんでそんなことで大騒ぎするの??」と戸惑うぐらい、海外と日本とではこの差別問題に温度差があります。

しかし、この差別問題は、残念ながらアメリカでは建国以来ずっーと付いて回るものなので、むしろこれがアメリカのアイデンティティの一つと言っても過言ではないほど、この社会に根付いてしまっているのです。今回の件で大騒ぎになるのも無理もないでしょう。

実際に多くの州の大都市を歩いてみれば、必ずと言っていいほどMartin Luther King Jr. Streetなどキング牧師の名前がついた道路があり、また毎年1月の第3週の月曜日はMarting Luther King Jr. Dayとして、国民の祝日となっています。また今現在でも、白人警官による黒人の射殺や、それに対する一連の報復など、ニュースやSNSなどで大きな話題となっています。

この問題について、私がここで、「差別は悪だ、なくすべきだ!」なんていう稚拙な正義の話をするつもりは毛頭ありません。ただ、大事なのは人間というものについてもっと良く知る、理解しようとすることです。この差別問題が我々日本人には無縁かと言うと、そんなことはありません。

なぜならこの差別は、

対象の分離→意味付け→関係性の構築

という人間に本来備わった能力が発揮される過程で必然的に起こるものだからです。

これは野生の動物としての人間が、厳しい自然を生き延びる上では欠かせない能力の一つでしょう。例えば、ジャングルで猛毒の大蛇に遭遇した時、まずその物体を蛇として、その他の事象と分離します。

そして、この物体が己の生命にとって危険な動物であるという意味づけを行います。そして、その意味づけを元に、遭遇したら即逃げる(もしくは殺す)など、その対象との関係性を構築するわけです。

この意味においては、誰もが差別主義者になり得るといえます。

太古の昔から人間に備わっているこの能力が意識されないまま行使されると、そのプロセスの途中で誤った意味付けや、関係性の構築がなされてしまう危険性があると言うわけです。

つまり黒人を差別し、蔑視するような白人にとっては、黒人とは白人と同じ人間でなく、劣った存在であるという意味付けが反射的に行われ、実際にそれをあらゆる態度や言動または集団的な規範として表現することで、自身とその対象(黒人)との関係性を構築するわけです。

よって差別問題に取り組むには、この三段階のプロセスのどこかに目を向ける必要があります。

1. 分離の幻想から目覚める

プロセスの大元から見直すという作業ですね。つまり、あなたと私、白人と黒人、日本人とアメリカ人などいう分離や分解から”心理的に”自由であるということです。

これは根本的な解決になり得ますが、その分難易度が高くなります。それは分離や分解が意味をなさないほど、ものの見方の視点を上げていく、視点の抽象度をあげていく、ということが必要になってくるからです。例えば、わたしたちが日本という国の中の東京の中の〇〇区に住んでいるなんて意識していますが、宇宙から地球をみればそんな区分けなど幻想であることは誰にもわかりますよね、

つまり心理的に分離から自由であるというのは、仏教で言う『空』の世界観にまで己を持っていくということです。このプロセスの最初の一歩である分離がそもそもなければ、意味付けの必要性もなくなります。ある種、幼い乳児が見ている世界に近いものとも言えるでしょう。これはもう個人の知性や精神の目覚めの領域に入ってきます。

2. 意味づけを変える

次に考えられる取り組みとしては、分離は分離としてあることを認め、ただその意味づけを変えることです。アメリカで行われてきた公民権運動とは人々の意味づけを変えるために行われた言えます。

黒人が差別され、隔離させ、虐げられてしかるべき存在であるという意味づけを改め、同じアメリカ国民として白人と同じ権利と自由が保障されるべき存在として人々の意味づけを変えるのです。

しかし、一度意味づけをされた対象の見方を変えるというのは、相当難しく、多くの時間と労力が必要とされます。教育や個人間の交流などを通して、地道に人々の意味付けを変える必要があります。これを成し遂げようとし、また歴史上最も成果をあげたのがキング牧師率いる公民権運動だったと言えます。

3. 関係性を変える

これは例えば、法律などをもって個人間の関係性を強制的に律してしまおうという取り組みです。個人がどんな分離や意味づけを持っていたとしても、それを対象に表現することを法的または社会的に制限するのです。

差別的発言や暴言、暴力などを罰することで、個人がどんな意味づけをしていようと、とりあえず表面上は社会が正常に成り立つまでの関係性は保たれます。もちろん、これは根本的な解決とはなりませんが、顕在的な差別や暴力を即座に抑止することが可能となります。

1から3に向かってより集団的取り組みとなり、また即効性と難易度という意味では3から1の順になるでしょう。また、1が変われば必然的に2が変わり、そして結果として3も変わるようになっていますが、その逆は必ずしもそうはなりません。例えば、法律でいくら差別してはならないとしても、現実にそれが起こってしまう現在のアメリカ社会を見ればそれは明らかです。

最後にアメリカの差別問題を考える上でわたしが良いと思った作品をいくつか紹介しておきます。もし興味があれば、この問題についていろいろ考えをめぐらす良い機会にしてみてはいかがでしょうか。

No.1: グローリー/明日への行進

キング牧師の生涯を描いた初の映画です。これほど歴史的かつ世界的に有名な人物なのにこれまで映画化されてこなかったのは、実はキング牧師の遺族が彼の演説や公演などの著作権をすべて管理していて、映画化しようにも遺族のOKが出なかったからなのです。得にキング牧師の女性スキャンダルなど人間的な側面を取り上げられることが特に避けられていたのです。

そこで、この作品の監督はスピーチや発言のすべてを類義語に変換することで、この著作権の問題を強引に突破しました。ふたたび差別問題が再燃している今のアメリカだからこそ、この映画を今作らなければならないという監督の本作に対する熱意と情熱が伝わる良作です。

No.2: それでも夜は明ける

過去実際に行われた悲惨な差別と暴力を疑似体験できます。人はどこまで残酷になれるのか。答えはどこまででもである。というのがよくわかります。ただ、差別や暴力を行うほうも実は上記の原始的プロセスから逃れられないという意味で、極めて不自由であり不幸なのだということもわかります。差別主義者の顔は不思議といつも同じ顔をしています。そこにはなんともしがたい恐怖や不安、そして原始の思考プロセスに囚われた不自由さが見てとれるはずです。

No3:大統領の執事の涙

これは、アメリカの黒人差別のハイライトとしてうまく描かれている良作です。オバマ大統領就任が黒人社会にとってどれだけ重みのある出来事であったかが、その歴史を通してよくわかると思います。

また、公民権を勝ち取る過程で、キング牧師率いる活動家だけがそれを成し遂げたのではないということも改めて認識させられます。何世代にもわたって差別され、暴力をうけ、殺害されても、それでも子を育て、まじめに働き、理不尽に耐えながらも白人の生活を支えてきた、そういう誰の目にもとまらないような善良な黒人たちの姿と精神こそが、白人を含めた世論を動かす大きな要因となったのは言うまでもありません。

それではまた。

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TE.D
TE.D
昭和末期生産型AI投資家。ロスジェネ最後の生き残り。30代で結果的に実質セミリタイア。映画「キャスト・アウェイ」のトム・ハンクスのごとく、このネット大海原の無人島にて一人つぶやいてます。 穏やかで自由かつ豊かな次世代の都心ライフスタイルを模索しながら、日々のささいな経験や気づき、オススメ情報を中心に発信します。

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