行為(Doing)によって稼ぐ人、存在(Being)によって稼ぐ人。あなたはどちら?

「今何してるの?」

昔の知り合い(というかほとんどの人)に会うと必ず聞かれる言葉です。

「え、今きみと話をしてるよ。」

なんてとぼけて言うと、

「え?」

という当然の反応が返ってきます。

相手としては、「何してる?」と言う質問の意図は、

何の仕事をしてるの?

ということらしいです。

さらに言うと何の仕事をしてお金を稼いでいるの?

ということを意味するようです。

普通はそんなこと当たり前すぎて、速攻答えられる話ですよね。

例えば、

「〇〇の会社で営業をしてるよー、大変だけど給料も悪くないし何とか頑張ってるよー。」

みたいな話から会話が盛り上がって行くわけです。

それくらい、世間では働いて稼ぐのが当たり前。

でも、お金を稼ぐには”行動(=働く)”するしかない、という思い込みに誰も疑問を持たないのは不思議だと思いませんか?

わたしも世間以上に働いていた時期があるので、その気持ちもわかりますが、ここで真実を言っておきましょう。

この世には、収入を得るのに2つの方法があります。

1つは、「行為」(Doing)によって稼ぐこと。

これはサラリーマンを筆頭に、ひたすら動いて働くことで稼ぐこと。自転車操業の自営業などもそうです。

もっと言うと、自分の時間やプライバシーを切り売りするということです。

そしてもう1つは、「存在」(Being)によって稼ぐことです。

これはただ自分自身で”あること”によって収入や富を得る方法です。

これを世間のほとんどの人はわかっていないし、そんなことがあり得ることすら認めようとしません。

このBeing、ただ存在すること、自分自身であること、またそのありようは行為よりも目に見えないのでどうしても軽視されがちですが、実はそのパワーは行為以上のものがあります。

どっちが良い悪いの話ではありません。この世界は本来そういう仕組みになっているのです。

しかし、問題は世の中の大半の人が「行為」によってしかお金を含めた富を得ることができないと思い込んでいることです。

行為によって稼ぐことが好きな人もいれば、本来は存在によって稼ぐほうが得意な人も同じだけ(もしかしたらそれ以上に)いるはずなのです。

それなのに、人間社会では「行為」によって稼ぐことを前提に成り立っている。そしてそれだけが奨励される。そこに歪みが生じるわけです。

世間では、「存在」で稼ぐ人への風当たりが強いので、なかなかこの事実に目を向けて、自分がどちらに向いているのかを考えることすらしません。

「存在」で稼ぐ人は世間ではよく、「楽して儲けやがって」とか、「不労所得なんてずるい」、というバッシングの対象になったります。

労働という行為をしていないと、無職やニートなどというネガティブなレッテルを貼られたりもします。

しかし、ひと昔前までは貴族や華族といった憧れの存在だったはずなのに不思議ですよね。

でもそういうバッシングをする人って実は、本来「存在」で稼ぐほうが得意なのに、自分自身に嘘をついてでも、無理に不得意かつ嫌いな行為によって収入を得ている人たちです。

なぜなら、生来行為が好きで、行為によって稼いでいる人は、存在によって稼いでいる人を羨ましいとも思わないし、ずるいとも思いません。行為自体が好きでやっていることだからです。

そもそも、「存在」によって稼ぐのも決して楽なことではありません

なぜなら、自分は何もしなくても(していても)自分が必要なだけの収入を得る価値のある人間だということを心の底から信じている必要があります。

さらに、先ほど言った世間的な偏見や思い込みにも逆行した考えを持ち、同調圧力や洗脳にも屈せず、それを”実践”しつづけなければならないからです。

ではここで存在で稼ぐためにあなたが今すぐできることは、

自分と向き合う

ことです。

これは自分自身が持っている固定観念やバイアスを見つめ、手放すことです。

”わたしには受け取る価値はない”

”何もしなければ、わたしは誰からも愛されない”

”何もしない自分には価値がない”

”働く以外に生きていく方法はない”

このような固定観念がないかまずは自分の心に聞いてみましょう。

見つめるだけ大丈夫です。それを見つけて何か行動を起こす必要もありませんし、行動を起こしたくなったら素直にやってください。

固定観念というのは、頭の中に住み着いた幽霊みたいなもので、完全な幻想に過ぎません。
幽霊は宿主に見つかったら時点でスーッと消えてなくなるものです。
だから、観察そのものに既に解決が含まれているのです。

仏教思想的にゆうと、観心というやつですね。

もっと簡単に言うと、

あるがままの自分自身と自分の人生を無条件に愛する必要があるというわけです。

これほど、勇気と忍耐が必要なことはないし、自分をしっかりと持ち続けないとできることではありません。

一時的なモラトリアムとして、そういう状態にいられる人は多いかもしれませんが、すぐに世間の同調圧力に負け、存在で稼ぐ自分に嫌悪感や焦りを抱いてしまいます。

そうなると、さきほど挙げた「存在」で稼ぐための条件を失い、存在で稼ぐことができなくなりったり、無理な行為で稼ぐことを余儀なくされたりします。

「存在」で稼げるという事実を認めようともせず批判ばかりしている人は、実は本当の自分自身と向き合うという一番面倒で多くの人がやりたくない”行為”を避けているだけかもしれません。

そのような惰性に蓋をして他人を批判するのもいいですが、その代償ははかりしれません。

逆に言うと、「存在」で稼ぐのが本来得意な人が、勇気を出して一歩踏み出し、行為で稼ぐのをやめ(もしくはセーブして)、存在で稼いでみると、なぜ今まであんなに苦労して稼ごうとしていたのだろう、なんでわざわざ自分の人生を苦しいものにしてしまっていたのだろう、と笑ってしまうことでしょう。

もちろん、100%行為で稼ぐ人ばかり、また逆に100%存在で稼ぐ人ばかりというわけではありません。このパーセンテージの比率は人それぞれです。

もし今の人生や仕事が苦しく辛いなら、どちらが自分にとって本来の生き方なのか今一度立ち止まって、自分自身と向き合ってみてはいかがでしょうか。

有名な心理カウンセラー心屋さんが、以上のような考え方を”存在給”という表現をしていますが、とてもいい言葉ですね。
実はこれ、昔から、なんだかんだで不思議とお金に困らず、悠々と生きていける人が持ってるマインドセットなんです。

心屋仁之助『■「存在給」を上げる方法』

昨日は、京都のBeトレでした。 京都は会場が大きいので LIVE会員さんを大幅募集中です。 どんどん増えてきて 会員全体で4,000名を超えましたっ(*^▽^*) ありがとうございます。 さて、今回のテーマは 「罪悪感3」でした。 「罪悪感」と「収入」は 切っても切れない関係です。 だから 自分の「収入」を上げるのは 「罪悪感を減らす」ことが一番簡単です。 どうやって罪悪感を減らすのかは Beトレでお話したんですが (バックナンバーをお楽しみに) 別の表現をすると 自分の収入というのは 「存在給」+「歩合(労働・価値提供)給」です。 で、 「歩合」にがんばりすぎると 「存在給」が減ってしまいます。 だから 「存在給」を増やす いちばん簡単な方法は 「歩合給を減らす」です。 場合によっては 「歩合ゼロ」にする。 すると 「存在給」がガンガン上がるわけです。 主婦の人だと 「家事」ぐらいしか「歩合」ないですよね、 あ、「子育て」もいれましょうか。 ここに頑張るほどに 「存在給」が下がるわけです。 だから、それを「やめる」「サボる」「手を抜く」わけです。 でも 「歩合こそがすべて」と 今まで頑張り屋さんで生きてきたひとにとっては 「歩合を減らす」なんて 「それは なさすぎるわ」なのです。 だから いつまでも「歩合」で生きる。 でもこれって 言い換えると 「存在給」を信じていないということ。 つまり 「自分という人間の存在価値を、ナメ過ぎ、過小評価しすぎ」 ということです。 で、じゃー、どうすれば 自分のこと「ナメ」ずに 自分のこと「過小評価しない」のかというと 「歩合をやめる」ということ(笑) 帰ってきた これが ・がんばらない ・媚を売らない ・価値を提供しようとしない ・人に喜ばれようとしない ・お客さんのことを考えない ・サービスや付加価値を上げない ・人の役に立とうとしない ということです。 ありえないでしょ?

心屋さんの心理カウンセリングは賛否両論ありますが、気になった方は手にとってみてください。

それではまた。

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TE.D
昭和末期生産型AI投資家。ロスジェネ最後の生き残り。30代で結果的に実質セミリタイア。最近はハワイ東京間を行ったり来たり。映画「キャスト・アウェイ」のトム・ハンクスのごとく、このネット大海原の無人島にて一人つぶやいてます。 穏やかで自由かつ豊かな次世代の都心ライフスタイルを模索しながら、日々のささいな経験や気づき、オススメ情報を中心に発信します。

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