恐怖と虚構の農耕社会に狩猟採集的幸福を打ち立てよう

人類は今歴史的大転換点にいます。これは体、心、魂という人類のすべての側面においてそう言えます。そして、AIなどのテクノロジーの外的要因がさらにそれらに拍車をかけていくでしょう。

人類の歴史を紐解けば、われわれは約1万年前に歴史を変える大決断をしました。それは狩猟採集社会から農耕社会への転換です。

みなさんは狩猟採集社会から農耕社会への移行は人類進化の必然として起こったと思っていませんか?

野蛮で危険なことが多い狩猟採集生活から、より高度な知恵によって植物を栽培し、動物を家畜化することによって、大多数が安全かつ快適で豊かな生活を享受することができたのだと。

実はそれらはまったくの嘘で、人類が農耕を始めた約1万年前からでっちあげた幻想・虚構でしかありません

この幻想に気づかない限り、高度に複雑化し、成熟しきったこの農耕社会で幸せになることは極めて困難です。それは大多数の人がこの農耕社会の成れの果てである現代社会で幸せを感じていないことをみればわかるでしょう。

事実、人類が狩猟採集生活を続けていた期間はおよそ500万年にもなります。それに対して農耕生活はたったの1万年。500万年もの間、人類は狩猟採集的生活で幸せに暮らしてきたのです。それを人類は、ある自然環境の激変で、農耕社会に移行することを余儀なくされたのです。

それゆえ、われわれが現代社会で幸せを感じられなくなるのは当然のことなのです。

この辺の歴史については是非こちらを一読ください。


人類は実は嬉々として、狩猟採集生活を捨て農耕社会に移行したのではなかったのです。恐怖と虚構という2つの幻想を信じて、半ば脅迫症的に農耕社会に移行したのです。(この恐怖と虚構については別の機会に話ましょう。)

それで、狩猟採集時代より多くの人が幸せになったかというとまったくそうはならなかったのです。ごく一部の虚構と恐怖を作り出す側のもの(聖職者や王、今で言う国際金融資本家など)を除いては。

農耕社会に移行後、実際は奪い合いや競争が生まれ、階級や差別が生じ、疫病・慢性疾患・成人病が蔓延し、多くの大小の戦争が起こり、あらゆる形の苦悩を人類にもたらしたのです。

例えば、小麦を栽培するために一箇所に定住し、1日の大半を退屈で辛い労働に費やすことで、人類の生活にゆとりがなくなり、家族との団らんが減り、幸福度が下がる一方で、小麦だけが労せず世界中に繁殖しました。

ここで、問うべきは、われわれが高度な知恵を持って小麦を栽培することに成功したのか?それとも小麦が我々を家畜化、奴隷化することに成功したのか?ということです。

小麦を今の会社やお金に置き換えてみて下さい。

われわれが今やっていることは初期の農耕社会と本質的にまったく変わっていません。

一度強烈な恐怖と幻想に取り憑かれた人類はその恐怖と虚構から逃れる術を持ち合わせていなかったからです。ごく一部のもの(キリスト・ブッダ等)を除いては。

本当はもう小麦であろうがお金であろうが、既に世の中には十分すぎるほどにあるのです。

あるのにないという幻想をいまだに信じ、今も恐怖や不安というエンジンだけをよりどころに一生懸命に消耗しているのがわれわれ人類なのです。

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さて、今生きていて、なにかが違う。

社会的には立派な仕事や職についているのに、間違ったことをしている気がする。

なぜかうしろめたい。

自分に嘘をついてるようでならない。

なにかにだまされている感覚に襲われる。

多くの便利なものに囲まれているのに全然豊かさを感じない。

本当にやりたいことがなんなのかすらわからない。

といった思いが頭をよぎることがないですか?

そのような出所不明の悩みを悶々と抱えながらも、日々の生活のため仕事で忙しくしたり、自分の感覚が間違っているのだ、現実逃避をしようとしているだけだ、甘えているだけだ、といって心の声を無視しながら日々をだましまだし生きていませんか?

もしそのような思いを抱えているなら、あなたは間違っていません。現実逃避をしようとしているわけではありません。甘えているわけでもありません。まずはそこに気づいてください。

自分の心の声に静かに耳を傾けてみてください。

自分を信じてあげてください。

そのように感じているのは今やあなただけではありません。今多くの人が気付き始めています。目覚め始めています。

農耕が始まって以来1万年もの間、人類は自らを欺いてきました。恐怖と虚構だけをよりどころに行った大きな過ちを認められず、後戻りもできずに、いつ終わりがくるともしれない苦難の道をひたすら突き進んできたのです。

幸せになるために行うことが、より多くの不幸を増やすという矛盾に見て見ぬふりをして、多くの争い、戦争、疫病に慢性疾患、そして過酷な労働に耐えに耐えてきました。

しかもそれらの犠牲はすべて、人類が自らに信じ込ませた幻想のために捧げられてきたのです。

でも今まさに、私たちは1万年以上もの長い長い苦難からやっと目覚めようとしています。実際われわれの心も魂も、そして物質的にもそういう環境が整ってきています。

少し前なら、上記のような声に導かれた人は、新興宗教に入ったり、せめてもの抵抗として反社会的な組織で活動したものです。しかし結局は別の形の恐怖と虚構に拠りどころを変えただけに終わりました。

でも今は違います。

最近流行の次のような言葉を一度は耳にしたことがあるでしょう。

・好きなことだけをして生きていこう

・自分らしくあるがままで生きていこう

・働き方革命、ノマド、不労所得

・断捨離・ミニマリズム

・スピリチュアル、ヨガ、瞑想、マインドフルネス、今を生きる

・筋トレ、ウォーキング、菜食、グルテン(小麦)フリー生活

これらはすべて、農耕社会の幻想から目覚め、狩猟採集社会への回帰を促すキーワードだとすれば、それぞれが独立した概念ではないことがわかりますよね。

ちょっとお遊びで、狩猟採集生活の1日を想像してみましょう。

朝日ととも起床。気持ちがいいのでまずは高台に座って朝日を浴びながら、大いなる自然から活力をもらいます(ヨガ、瞑想、スピリチュアル活動に相当)。

お腹が空いたので、近くの茂みに木ノ実や野菜(菜食、グルテンフリー)を探しに行きます(ウォーキング)。

そこにたまたま美味しそうな獲物が目の前を横切ります。これチャンスとばかりに獲物を追いかけること数十分、捉えた重い獲物を抱えて家族の元に帰ります(筋トレ、トレーニング)。

さて、数ヶ月もすると今の場所にも飽き、収穫物も少なくなってきたので移動です。当然、不要なものや持ち歩けないものはその場に捨てて行きます(断捨離・ミニマリズム、ノマド)。

狩猟採集のための数時間の活動(そのプロセス自体も実は楽しいゲームでもある)が終わったので、みんなで歌を歌ったり、踊ったり、壁に絵を描いたり、家族や仲間とのんびり過ごしたりします(すきなことだけして行きていく)。

家族的繋がりや役割こそあれ、階級や差別、ルールや厳格な社会規範などありません。皆がそれぞれの得意分野を生かして、それぞれに好きなことをするだけです(自分らしくあるがままに生きる)。

そうしてまた美しい夕日を眺めながら、1日を平和に豊かに、そして静かに終えます。

まぁ、これは狩猟採集生活を極端に美化しすぎですが、わたしたち人類はこのような生活に根源的な喜びや幸福を見出すように作られていたのは間違いなさそうです、少なくとも農耕が始まる1万年前までは。

ただ、今の農耕社会(ここで仮にN社会としましょう。)での生活を捨てて、狩猟採集生活に戻そうと言っているのではありません。

いまさらすべての都市や文明をぶっ壊して、狩猟採集時代にもどろうなんてナンセンスかつ実現不可能です。それこそ一度世界核戦争でも起こしてリセットしないかぎり。

逆に言えば、もしこのまま人類の大多数が狩猟採集民(S族としましょう。)としての幸せやあるがままの姿を抑圧したままN社会の幻想や虚構を維持し続けようとするとどうなるでしょう?

抑圧されたS族の集合意識が本当に核戦争を引き起こすかもしれません。1万年以上もの間、抑圧されたS族としての幸福を再実現するにはそうせざるを得ないというのも無理もありません。

ここで大事なのは、N社会を壊すことでなく、N社会の虚構と己に巣くった恐怖と不安という幻想に気づいた上で、N社会上にS族としての抑圧されたあるがままの姿を解放してあげることですS族として己の幸せとは何か、やりたいことは何かを考え、それを堂々とN社会の上に打ち立てていくのです。

やりたいことがみつからないという人は、N社会での幻想の範囲内でやりたいことを探しているからみつからないのも当然です。ないものを探しても見つからないのは道理であり、あなたの努力不足でも経験不足でもありません。

今多くの人が各々の立場や環境で己の創造性をフルに発揮しながら、S族として幸福を実現しようとしています。S族としての自己実現の方法を模索しています。

N社会では多くの人がN社会でのみ認められた”成功”を目指して日々あくせく命を削りながら働きつづけます。あなたもそうではないですか?

ではこのN社会で成功した人たちがどんな生き方やライフスタイルをしているか実際見たことがありますか?

わたしの知り合いのいわゆるN社会で”上がり”となったほとんどの人は、結局はS族としての幸せを追求しています。そのほとんどはN社会から見るとまったく非効率で無駄なものばかりです。

ある人は年中旅に出たり、またある人は減収覚悟でN社会的労働をセーブし、ただ散歩や運動したり、朝日や夕日をぼーっとながめたり、狩猟に起源があるようなゲームやコレクションに没頭したり、各地を回って地産地消の味めぐりをしたり、数年、数ヶ月ごとに住む場所を変えたり。

なんにせよそれぞれにおかれた立場で、もてる想像力と創造性を発揮してS族的幸せを実現しています。彼らを見ていると本当に幸せそのものです。

わかりやすい有名どころで言えば、中田英寿氏が旅に出たり、ホリエモンこと堀江貴文氏が家を持たずにホテル暮らしをしながら、世界各地を転々としながらやりたいこ放題したりといったところでしょうか。

プライベートジェットを所有するほどの世界的富豪がわざわざ自転車に乗って世界を駆け巡ったりというのもよく聞く話です。

しかし、これらのS族的幸せの実現ははなにもN社会で成功したり、有名にならなければできないことばかりではありません。

今どのような立場にいても、N社会の幻想に気づき、本来の想像力と創造力を少し使えば誰でも今すぐ実現可能です。S族的幸せとひとことで言っても、人それぞれ千差万別なのは言うまでもありません。

ただ、どのようなものであれ、あなたにとってのそれが受け入れられる社会になりつつあります。またその実現には多額のお金も必要としない場合がほとんどでしょう。

そもそも、もはやテクノロジーの急速な発展によって、N社会を維持するのに人間の力がほとんど必要ないという世界が間近に近づきつつあります。

その時、あなたはどうするでしょう?仕事をAIに奪われてただ呆然と立ち尽くすのでしょうか?それとも本当にやりたいことを見つけて、新しい人生を切り開いていくのでしょうか。

あとはあなた個人の選択次第です。500万年も続いたS族としての声に耳を傾けるか、その声を無視してN社会を維持するためだけに身を粉にして生きていくか。

まずは先ほどお勧めした本でも読みながら、これまでの人類(わたし)、今の人類(わたし)、これからの人類(わたし)について、一緒に考えを巡らしてみませんか。


長くなったので、この話はまた別の機会に。

それではまた。

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TE.D
昭和末期生産型AI投資家。ロスジェネ最後の生き残り。30代で結果的に実質セミリタイア。映画「キャスト・アウェイ」のトム・ハンクスのごとく、このネット大海原の無人島にて一人つぶやいてます。 穏やかで自由かつ豊かな次世代の都心ライフスタイルを模索しながら、日々のささいな経験や気づき、オススメ情報を中心に発信します。

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