与えること、受け取ることについて

みなさん、突然ですが、こんな言葉を聞いたことがあるでしょうか?

「受け取るより、与える側の人間になりなさい」
「欲しいものがあるならまず与えなさい」
「Give, Give, and Give」

これ、言ってることはすごく重要なんですが、言葉だけが一人歩きすると、ちょっとおかしなことになる場合があるので要注意です。

実際こう言われ、どれだけ多くの人が与える側の人間として、日々実践できているでしょうか。私たちの大半は、凡人です。どんなに上記のような言葉を実践しようとしても、マザーテレサのようにはいきません。

現実は、何かを与えられること、受け取ること、得ることばかりに集中している人がいる一方で、与え続けているつもりが、なんだかいつのまにか利用されるだけ利用されて、疲れ果ててしまう人が多いのではないでしょうか。

なぜこのようなことが起こるのでしょう。

与えること=受け取ること

よくよく冷静に観察してみれば、生きて行く以上、与えるだけの人間になることも、受け取るだけの人間になることも不可能だということがわかります。

それはなぜかというと、

与えるということと、受け取るということには、本質的に違いが全くないからなのです。

息を吐き続ける人もいなければ、息を吸い続ける人もいないのと同じです。両方が等しく機能しなければ、人は生きていけません。

それを息だけを吸い続けなさいとか、吐き続けなさいというのは道理に合いません。また、どちらが良い、悪いという話でもありません。

これはお金についても同じことが言えます。

例えば、ほとんどの人はお金をもらう時はどんな形であれ嬉しいですよね?でも、お金を支払う時はなぜかちょっとネガティブな気持ちなりませんか?

「こんなに使って大丈夫かな?」とか、「ああ、これで貯金が減ったなぁ」とか、「税金でこんなに取られるなんて許せない!」等々、なにかしらの理由で心が痛むわけです。

でももし、与えること=受け取ることというのが分かっていたら、そのような不安や不満は出てくるはずはありません。

与えること=受け取ることならば、それはどちらも等しく喜びであっていいはずです。

しかし実際には、この両方とも苦痛だという人すらいます。例えば、何かを人に与える時は損した気分になり、人からもらった時は、何か裏があるんじゃないかとか恩を着せられるのではないかと思って不安になる。

これでは息を吐くのも、吸うのも苦痛、つまり生きること自体が苦痛になってしまいます。

ですから、冒頭のような言葉は、特別な成功法則でもなんでもありません。ただマインドが少し混乱し、受け取ること(息を吸うこと)ばかりに目がいってしまっている人に、過呼吸になる前にまずは息を吐きなさいな、と言っているだけのことなのです。

大きく息を吐けば吐くほど(与えれば与えるほど)、また大きく息を吸い込む(受け取る)ことができますよね。

逆も然りで、なにかを受け取ったと思ったら、感謝と喜びの気持ちと共にまた与えていく、私には何かを受け取る資格なんてないと思い込んで、いつも遠慮ばかりしている人は、逆に意識して受け取る(息を吸い込む)ことに慣れる必要もあるでしょう。

こう表現することもできるかもしれません。

与えること+受け取ること=人生の豊かさ

どちらか一方だけでは、人生の豊かさを十分に味わうことができないようになっているのです(関連記事:今この瞬間あなたの人生を100%豊かにする唯一の方法)。

私には与えられるものなんてない!?

でも、私には与えられるものなんて何もないです。という方がよくいますが、それは嘘です。なぜなら、あなたが、あなた自身である時、本来その存在そのものがすでに与えることになっているからです。

与えるために、なにか外に出て行って特別なことをするというだけが、与えることではないのです。

子育てをしているとよく思うのです。今、私が子供に与えらるもので、もっとも貴重なものはなんだろうかと。

資産でしょうか?お金でしょうか?家でしょうか?おもちゃでしょうか?教育でしょうか?どれも、重要かもしれません。でも、私が今、子供に与えられる最も重要で、貴重なものは、

ただともにある(Being)ことです。

とくに子供に何かを期待する(受け取ろうとする)のでもなく、ただ一緒にいて、この人生の一瞬一瞬をともに”ある(Being)”ことです。

言い換えれば、ともに過ごす時間ということも言えるでしょう。この生が有限である以上、時間(正確には今というこの瞬間の連続)は何にも変えがたい最も貴重なものです。

そして同時に、ただともにあることで私はすでに子供たちから多くのことを受け取ってもいます。それは、楽しく過ごす豊かな時間であったり、子供たちの笑顔、意外なものの見方や発想だったりします。

やはりここでも、

与える=受け取る

という道理になっています。

先ほど、与えることと受け取ることを呼吸やお金に例えましたが、このあること(Being)には時間さえも必要としません。

与えることと受け取ることが同時に起こるかです。これが分かっていれば、相手に何かを与えた時に、何らかの見返りを求めてしまうということも自然となくなります。

何があなたのもとを去り、また帰ってくるかを知る必要はない

見返りを求めないということに関して、もう一つ大事なことがあります。それは、あなたが与えたものと同じものがいつも帰ってくるとは限らないということです。

例えば、あなたが1万円をだれかに与えた(寄付)としても、そのひとからあなたに1万円が帰ってくるとは限らないということです。

では何が帰ってくるのかというと、それはあなたが与えた時に抱いた感情に相当するものや出来事です。

例えば、怒りや不満を伴って与えれば、怒りや不満を抱かせるようなものや出来事があなたに帰ってきます。

逆に感謝や喜びを伴って与えた場合も同じ、感謝や喜びを伴ったものや出来事が帰ってきます。

そう考えると、与えることも受け取ることも行為ではなく、単なる”ありよう”だということがわかってきます。

すこし、長くなってしまったので、”あること(Being)”についてはまた別の機会にお話したいと思います。

それではまた。

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TE.D
昭和末期生産型AI投資家。ロスジェネ最後の生き残り。30代で結果的に実質セミリタイア。最近はハワイ東京間を行ったり来たり。映画「キャスト・アウェイ」のトム・ハンクスのごとく、このネット大海原の無人島にて一人つぶやいてます。 穏やかで自由かつ豊かな次世代の都心ライフスタイルを模索しながら、日々のささいな経験や気づき、オススメ情報を中心に発信します。

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